陸前高田市と大槌町を再訪 2011/5/25
2011年5月24日~26日、陸前高田市と大槌町の中で、前回と同じ被災地区を再訪しました。
小友町の瓦礫撤去はほぼ終了していました。 高田町でもかなり進行していました。 大槌町の
民宿上の船は下に降ろされていましたが、周りは手つかずでした。 小友町を見下ろす展望台で
写真屋さんと話しをしました。彼の家は津波に流され、一眼レフカメラやビデオカメラ等の商売道具を
すべて失い、Final Cut Proは登録していなかったので再取得できないと嘆いておられました。
幸い、PremierPro CS5は取得できたが、PCが消えたのが痛いと。 そして、命が助かったのが一番と。
その直後、NHKが撮影を始め、翌6月第二週の教育テレビ、福祉ネットワークで放映すると。
(2011/5/31後記: 南三陸町のホテル復興に関する女将の話も参考になります。
上記写真屋氏との電話で、仮設店舗を建ててくれ、賃借料無料で借りられるとの話しを聞きました。)
撮影で得た720p60, 1080p30, 1080i60 ファイルを編集して、9分52秒の
H264/HEVCビデオを作成しました:
中解像度60p: HEVC-1280x720p60-2Mbps-156MB.mkv (要 DivX 又は 万能プレーヤー)**
**左クリックで鑑賞不可なら、右クリックでダウンロード保存したファイルを鑑賞してください。
標準解像度30p: H264-722x406-2Mbps-152MB.mp4:
遠野市にあるJR釜石線の めがね橋を撮影しました (720p60ビデオからの切り出し):
小友地区の瓦礫撤去はほぼ終了し、サクラは青葉が茂り、手向け花もありました
(1080p30ビデオからの切り出し):
生き残った あの松も撮影しました (720p60ビデオからの切り出し):
大槌町に打ち上げられた あの観光船は下に降ろされていました (1080i60ビデオからの切り出し):
釜石鉱山を訪問しました。 すでに経営を終了して20年以上経ち、社宅は完全に撤去されていました。
しかし、僅かな稼働を続けているのか、残留施設に数人が作業所から戻ってきました。 そして、
午後3時前に工場跡地から私を追い出しました:
註: 上写真中において、本記入者が内容を変えずに下部説明文を改行し、且つ文字を拡大した。
1963年に竣工した「なかのはし」が小川にかかっており、その上にカケスがいました:
4つ上の写真の「はまゆり号」は釜石市の所有です。釜石鉱山と繋がる駅、陸中大橋、に
この観光船を描いた看板が掛かっていました:
駅構外から釜石鉱山を見ると:
鉱山は左端V字型渓谷の右上に広がっています。
鉱山の南端から本駅を見下ろすと: